接客業を中心とした業種では、理不尽なクレームや悪質な要求が従業員を追い詰める「カスタマーハラスメント(以下、カスハラ)」が深刻な問題になっています。ここ数ヶ月で大手企業が相次いでカスタマーハラスメントに対する基本方針などを発表したり、時事としても注目が集まる問題になってきております。
本記事では、人事・法務担当者の立場から、カスハラにどう対応するか、そして従業員の理解と対応力を高めるための研修設計の具体的なポイントをいくつかの事例も参考に整理します。法律で使えそうな項目も交えながら、制度整備だけでなく現場で役立つ教育プログラムの導入を目指しましょう。
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資料をダウンロードするカスハラ対策がより重要に
基本対応方針を定める
厚生労働省は2022年に「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル」を公開し、企業に対策を講じることを促しています。これにより、カスハラ対策についてはより「やらなければならない」課題という認識が高まっているように感じます。
例えば、怒鳴る顧客を怒鳴らないようにする、といったことは非常に難易度の高いことではありますが、少しでもそういったことが未然に防げるよう、企業として対策を講じない手はないと思います。また、万が一思わしくない状況になったとしても従業員が呼応する形で不適切な対応の仕方をしてしまったりしないよう、基本対応方針を設けるということも重要です。
「感情労働」をさせているという認識をする
カスハラ対策において見落とされがちなのが、従業員が日常的に担っている“感情労働”の負担です。
「感情労働(Emotional Labor)」とは、アメリカの社会学者アーリー・ホックシールドが提唱した概念で、感情をコントロールして他者にサービスを提供する業務のことを指します。飲食、小売、ホテル、コールセンター、テーマパークなど、接客や応対業務に関わる職種の多くがこの「感情労働」の領域に該当します。
例えば、心の中では理不尽だと感じていても、顧客には笑顔で丁寧に対応しなければならない――そのような業務を日々こなすことで、表情や言動を抑え込むストレスが蓄積されていきます。これが職業性ストレスの大きな要因となります。
感情労働が引き起こすリスク
- バーンアウト(燃え尽き症候群):精神的な疲労が蓄積し、やる気や集中力が著しく低下
- うつ病・適応障害:長期的なストレスにより心身の不調をきたす
- 離職やモチベーション低下:会社への不信感や孤立感を感じやすくなる
これらのリスクは従業員個人にとどまらず、人材流出や採用・育成コストの増大といった経営面の課題にも直結します。
こうした背景から、感情労働に従事する従業員を企業がどう守るかが、経営観点でも労務管理面でも重要なテーマとなっています。
カスハラの例と分類を整理する
カスハラとひと口に言っても、その内容や深刻度はさまざまです。従業員の心身を追い詰めるケースもあれば、業務運営に重大な支障を及ぼすケースもあります。そのため、カスハラをタイプごとに整理し、どこからが「ハラスメント」に該当するのかを可視化することが、対策の第一歩です。
よくあるカスハラのタイプ
カスハラとしてよくあるタイプを列挙してみます。
●暴言・威圧的な態度:怒鳴る、人格を否定する言動
●過剰なサービス要求:営業時間外の対応を強要、特別扱いを執拗に求める
●業務妨害・SNS晒し行為:クレームを理由にネット上で攻撃
●性的・差別的言動:容姿や属性に関する発言、プライバシーの侵害
”カスハラ”となる境界線を明確にする
カスハラの難しいところは、「正当なクレーム」と「ハラスメント」の線引きが曖昧になる点です。研修では、具体的な事例に基づき「カスハラである」ラインを確認することが重要です。
例えば「商品が壊れていたので返品を求める」は正当な申し出ですが、「それに対して何時間も怒鳴り続ける」「土下座を要求する」といった行為は明らかに本来の目的から逸脱しています。この線引きを従業員が理解できるように支援するのが、人事・法務の大切な役割です。
人事・法務が取り組むべきカスハラ対策の内容
カスハラ対策は、現場に丸投げするのではなく、組織全体で段階的に取り組んでいく必要があります。特に人事・法務部門は、制度設計と運用の両面から主導的な役割を担います。ここでは、実効性のあるカスハラ対策を実施するための基本フローを整理します。
1. 社内方針とガイドラインの整備
まずはじめに下記を制定しましょう。
●「カスハラは許さない」という企業の姿勢を明文化
●定義、対応手順、エスカレーションルールを社内ポリシー/ルールとして設定、明示する
●労働契約上の義務(安全配慮義務)に基づく体制づくり
2. 現場と連携した運用体制の構築
実際に顧客と対応する現場の従業員と連携するために下記を準備・実施しましょう
●店舗や現場スタッフへの情報共有(制定した決まりやルールの伝達)
●対応記録のテンプレート化と報告ルートの明確化
●顧問弁護士や外部機関との連携準備(実際に事案が発生した場合の連絡の仕方・連絡先など)
3. 定期的な研修とシミュレーション訓練の実施
1と2に取り組んで終わりではなく、実際に運用されていくように伴走が必要です。また、改善点があったら継続的に対応方法やルールをブラッシュアップしていきましょう。ニュースのチェックや、時代に合わせた対応方法も確認が必要です。
●事例を使ったロールプレイング形式の研修
●「一人で抱えない」対応フローを訓練で体得してもらう
●新人研修だけでなく、定期的な更新教育として実施
効果的なカスハラ研修を企画するときのポイント
カスハラ研修は単なるマニュアル共有ではなく、「理解・共感・行動」につなげる設計が好ましいです。受講者の立場や業務に合わせた設計により、納得感のある内容にできると現場社員にも取り組む意欲が湧きます。ここでは、研修企画時に押さえるべき具体的なポイントを紹介します。
① 対象者別に設計する
単にカスハラといってもポジションによって必要な対応方法が変わります。下記の限りではないですが、対応する箇所別にふさわしい対応方法を考えましょう。
●現場スタッフ向け:対応時の心構え・実践スキル
●店長やSV層向け:エスカレーション判断・フォロー体制の運用
●人事・法務担当向け:社内体制の設計とリスクマネジメント
② ワークショップ中心の構成にする
研修はただ聞くだけの座学ではなく、「自分ごと化」できる実践形式が効果的です。eラーニングなどを利用する場合は、動画コンテンツの利用などが記憶に残りやすいでしょう。
「これはカスハラ?違う?」といったグループワークを入れることで、実際に自分の頭を使って考えた体験として記憶され、実際に事案が起こった場合に慌てる気持ちを軽減させることにもつながるでしょう。
また、ワークショップを入れることで普段はカスハラに対応することがない、またはカスハラにあったことがない従業員にも、カスハラに遭遇する可能性のある仕事に携わっているという実感を育む効果が期待できます。
③ 定着させるための仕組みも取り入れる
例えばeラーニングなど一人で確認できる仕組みを取り入れることで、事後の復習の機会を設けられます。一度ワークショップを実施したり研修会を実施するだけでは記憶に定着しにくいです。ぜひ復習・反復の機会を取り入れましょう。反転学習の考え方が有効です。(反転学習とは)
●研修後のeラーニングで知識を再確認
「manebi eラーニング」の詳しい資料はこちらからダウンロード
●チェックリストや対応マニュアルを現場に配布
●KPI(例えば「カスハラ報告件数」や「スタッフの自己評価」)を設けて効果検証
カスハラ事例と企業の対応例
具体的な事例を知ることで、対策の方向性がより明確になります。ここでは、実際に企業が直面したカスハラのケースと、それにどう対応したのかをご紹介します。自社の体制整備や研修企画に活かせる実践的なヒントとしてお役立てください。
事例1:暴言顧客に対して対応を終了する決断をした
大手チェーン店では、過剰な要求を繰り返す顧客に対し、社内規定に則って「対応を終了する」決断を現場が即断できる体制を構築していました。その結果、現場の負担が大幅に減少しました。
対応を終了する基準は企業によって様々ですが、電話であれば15分や30分、面談対応であれば1時間など、時間で設定しているケースが多いようです。
導入当初は「顧客満足度の低下につながるのでは」との懸念もあったが、むしろ従業員の安心感と定着率が向上し、サービス全体の質が安定した。社内では「対応終了判断の基準」をマニュアル化し、店長が判断をサポートする運用にしている。
また、この対応例を研修で紹介することで、他のスタッフにも「毅然と対応していい」という認識が広がった。
事例2:対応履歴を残すことで店舗間の共有と法的対応もスムーズに
ある企業では、クレーム対応の履歴を社内システムに即時記録する運用を徹底。複数店舗をまたいで同じ顧客による悪質クレームが発生していたが、情報を共有することで早期に対応方針を統一できました。
最終的には、顧問弁護士と連携して内容証明郵便を送付し、以降の来店をお断りする正式対応へと進みました。記録が整っていたため、法的リスクの検証や対応判断もスムーズでした。
さらに、この一連の流れを社内イントラで共有し、他拠点の現場にも「記録が自分たちを守る」という意識が根づきました。
事例3:カスハラによるメンタル不調を早期フォローでカバー&復職支援
小売業の現場スタッフが、数ヶ月にわたり一部の常連客から容姿への執拗な言及や私生活への干渉を受け続け、最終的にメンタル不調を訴えて長期休職に至ったケースです。
人事部門はこの出来事を受け、カスハラ報告窓口を匿名でも利用できるよう改修し、従業員が相談しやすい体制を整備。同時に、産業医や外部カウンセラーと連携して、段階的な復職支援を実施しました。
さらにこの事例を契機に、「感情労働に対する支援」研修を新設し、上司・同僚による早期気づきと声かけの重要性についても教育。組織全体で“見過ごさない”文化の定着を図りました。
カスハラ対策に関連しそうな法律集
カスハラは刑法や民法に明確な「カスタマーハラスメント罪」があるわけではありませんが、既存の法律やガイドラインを活用・認識することで、社内規定の根拠や法的対応の土台を築くことが可能です。以下に、カスハラ対策に活用しやすい、あるいは企業として認識が必要そうな法令・基準を紹介します。
労働契約法(第5条:安全配慮義務)
使用者は、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をしなければならない。
企業には、従業員が安全かつ健康に働ける職場環境を提供する責任があります。カスハラが原因で従業員の心身に悪影響が出ることが明らかであれば、企業が安全配慮義務を果たさなかったとされるリスクも。社内規定にはこの義務を根拠とし、対策の必要性を明記しましょう。
労働施策総合推進法(パワハラ防止法)
2020年6月改正により、事業主は職場におけるパワハラ防止措置を講じる義務あり。
この法律自体は社内の上下関係を対象としていますが、厚労省は「カスハラはパワハラと類似の構造を持つ」と定義しており、参考にしながら対策を構築することができます。カスハラも「職場のハラスメント」として捉える方針が主流になりつつあります。
民法(不法行為責任)
第709条:故意又は過失によって他人の権利を侵害した者は、損害賠償の責任を負う。
悪質なカスハラ行為が従業員の人格権(名誉、自由、プライバシー等)を侵害している場合、加害顧客に対し損害賠償を請求する法的根拠となるのがこの条文です。警察や弁護士との連携時にも重要な拠り所になります。
刑法(脅迫罪・暴行罪・名誉毀損など)
- 脅迫罪(第222条):害悪を告知して相手を脅す行為
- 暴行罪(第208条):身体に対する直接的暴力
- 名誉毀損罪(第230条):他人の社会的評価を低下させる発言
悪質なカスハラ行為は刑事事件として取り扱われることもあります。社内での対応が困難な場合は、警察への相談・通報の判断基準を社内ガイドラインに明記することが有効です。
厚生労働省「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル」(2022年)
厚労省が公表したカスハラ対策の公式マニュアル。法的拘束力はないものの、行政が認める対応モデルとして規定作成や研修時の引用資料として非常に有効です。以下の観点が整理されています:
- カスハラの定義・分類
- 企業としての基本的な対策フロー
- 実際の対応例と研修の考え方
刑法第130条(住居侵入・不退去罪)
正当な理由がないのに人の住居や建造物等に侵入し、または要求を受けても立ち去らなかった場合に成立
店舗やオフィスなどで、顧客が明らかに営業妨害となる形で長時間居座り、退去を求めても応じない場合に不退去罪が適用されることがあります。
特に、「退店してください」と複数回要請しても、悪意をもって居座り続けるような行為に対しては、刑事対応の判断材料として有効です。
カスハラが長時間化・執拗化した場合に備え、退去要請の手順や記録の残し方を社内マニュアルに明記しておくとよいでしょう。
“現場任せ”にせず会社全体の取り組みを
カスハラ対策は、もはや一部の部門や現場だけで完結する問題ではありません。企業全体としての姿勢と仕組みづくり、そしてそれを支える人事・法務担当の取り組みが求められています。
とくに研修は、「学ぶ場」であると同時に「守られていると実感する場」でもあります。従業員を守ることは、企業を守ることにつながります。人が辞めない、顧客も企業も育つための環境整備の第一歩として、ぜひ実効性のある研修企画を進めてみてください。
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